低空飛行の航空日誌

何かあったことをつらつらと気の向くままに

今回の行脚(旅)を通して思ったこと・感じたこと

のんびりしようよ

なぜか知らないけど、やたら急いでいる自分に気づかされた。
道中ありとあらゆるところで感じたが、乗り換えのはずが間違えて降りてしまった香椎(かしい)駅ほど強く感じた場所はなかった。

香椎駅

当初は最初の経由地のゲーセン、ジーカム和白(わじろ)に行くつもりで香椎線に乗り換えるつもりが、よくわからないうちに改札を出ていた。
とにかく最初の途中経由地へ、という気持ちが強かったのは今でも覚えている。

改札を出たあとなぜか知らないけど、そのまま即座に鹿児島本線に再度乗ろうとして有人改札をくぐろうとした*1
が、駅員さんはみどりの窓口の業務に当たりっぱなしで*2、窓口業務の合間を縫って改札の対応をする、という具合。
基本的に電車がくるまでは窓口業務優先、という感じだった。

これが東京だと、必ず改札口に駅員が立っている箇所がある。大都市圏の場合はそもそも、みどりの窓口と改札は互いに物理的に離れた場所にあるので、このようなことは起きない。
いつの間にか、人海戦術により徹底追求された効率性*3というものに慣れすぎていたようだ。慣れすぎて無駄に急いでも問題ないと思い込んでいたらしい。
それに気づいて、あえて次の快速電車がくるまでの15分の間、香椎の駅から少し歩いてリセットしようと思って実際にそうした。

その他の場所で

錦帯橋で、川で遊ぶ子供や釣りをする人、周囲を見渡していて思ったこと。
『自然と触れ合う環境が身近にあるところは、時間の流れだけでなく気持ちまでゆったりとするのでは?』

実はこの話、実家の裏手に川が流れているので、かなりの頻度で何気なく体感していることだった。
長い間ずっとそうだったから、慣れていて表立って感じることはなかった、ということだ。

周りの自然を見ていたって何かが大きく変わるわけじゃない。でもただぼうっとその景色を見たりその場にいると、かなり時間が経ったと思ってもそうでないことがよくある。
だから気持ちはゆったりとしたものになりやすい。

これはなにも錦帯橋に限らず、往路の航空機内から空をただ眺めているとき、門司城跡へ行くための道中、出雲大社に行く道中や到着して境内地内を散策しているとき、果ては鳥取でイオンタウン日吉津から伯耆大山駅までの復路で、田んぼがひたすら続く田舎道を歩いていてずっと感じたことだった。*4
そんな日が3日半も続いたので、それなりに心の充電はできてきていた。

大阪と名古屋周辺で

4日目、松江から伯耆大山・岡山と経由して、大阪に抜けたときのこと。
その圧倒的な人の数、喧騒、建物の密集度にただ圧倒されるしかなかった。
とにかく隙間がない。ほっと一息入れられそうな隙間を、そこに流れる空気から感じられない。息苦しい。

日々疲れる理由がわかった気がする。職場の内外が常にこうなのだ。気が休まるわけがない。
心と体は一心同体、とはよく言ったものだと感じた。それまでのんびりと落ち着いていた気持ちが、東京で過ごしているときと変わらない感覚に一気に引き戻されるのを強く感じると同時に、猛烈な違和感に苛まされた。
それまで充電されていたものが、一気に放電されていく感覚もした。短絡、ショートしている。放電される速度が明らかに異常だった。

都市ではこの隙間のなさを、人の数や建物の密集度、広告から見て感じ取れる商売とされている行いの数々や、今そこにいる多数の人々が成す喧騒から感じ取れる。
これを、松江から大阪へ向かうにつれ、次第に強くなってきたと感じていたのだ。裏を返せば(実際見た目でも)エネルギッシュだが、その中身はほぼ空洞と感じ取れるくらい、何かに乏しく感じ、また虚しくも感じる。
虚しく感じるから、放電の速度があまりに速いのかもしれない。

最終日、名古屋に立ち寄ったときも全く同じことを感じた。とにかく息苦しい。
一体なんなんだ、この収まりきらず常に溢れるどころか無駄に噴き出している何かは……
特記事項として、大阪から名古屋間では、閑散とした辺りを見ても山陰と同じような隙間をあまり感じなかったことだけは付け加えておく。つまりは都市化しているということ。

今東京で

東京に戻ったときはそんなことを感じなかった。もう住み始めて3年経つし、そもそも以前からよく遊びに来ていて、いつの間にか慣れていたからだろうと思う。
慣れとは怖いものだと感じる。

今は仕事が終わったあと、19時くらいに戻ってきてゲームで遊んでいるが、あっという間に時が経つ。
じゃあ職場は、といえばひどいと騒音の目安で70dBくらいに達することがよくあるという、事務職ばかりいるはずなのに劣悪な環境なので、落ち着いて仕事などほぼできるわけもなく、丸一日何か見えないものにかき立てられながらという状態である。*5
それもあり、旅のあとでは何か違う、と思いながら過ごすことが多くなった。そもそも休職前後で大きくものの見方は変わったけど、今回の旅でそれがよりはっきりした格好になった。

都市と田舎の比較から

騒音と情報が作り上げる仮想と現実の混合空間は、人間の気力を消耗させるには格好の材料である。
それは休職前の体調が悪いときに嫌というほど感じた。
都市にはこの手の材料がごまんと揃っている。欠けているところなどなく、嫌な意味で五体満足である。
だから都市で気力は消耗される一方で、田舎に隠遁すれば回復するのが当然である。

ただ田舎でも、都市を向いた生活ばかりしていれば、気力は消耗すると感じる。
東京に出てくる前の自分がそうだった。
ネットでよくわからない情報収集にいそしみ、twittermixiなどのSNSIRCでのチャットにゲームと仮想空間三昧に、歩かず車ばかりでの移動、何か遊びを持たすことも知らずひたすらに目的を達成するための効率性追及、etc……
それに汚染されすぎた結果が、学生時代での友人の少なさと下手な会話の交わし方に現れ、果ては不眠症からうつというところまでたどり着いてしまった。

後者は今になってようやく解消されつつある。今回の旅で今後どこに気をつければいいのか、どういう要素を自分の活動の中に取り入れ、また捨てたらいいのかというのが大まかに掴めた気がする。
今後は大まかに掴んだものを少し細かく分類するために、もう少しこういう時間を設けたい。

(余談)昔と今のインターネットという場所

インターネットは10年ほど前、現在の都市に近い要素を持ち合わせていなかった。各個人が面白いことをしては公表したり、どうでもいいバカらしいことをしていたりした。しかもそれが今日のように『それは法律で云々〜』という、無駄なまでにただ表面的な法律遵守主義がまかり通っていなかったので、非常に面白い空間だった。
仮想空間なのに自然体でいられるような、謎の空間だったと思う。黎明期の実名でインターネットを使っていた頃は利用者層が限られていたこともあり、もっと異なっていただろう。*6

今は実際に都市で見かける大量の広告や人々の活動と同じで、どれだけ自分の声を遠くまで飛ばせるかを、徹底的に法律遵守主義に則って競い合うだけの非常につまらない空間になった。ただ現実空間をごっそりコンピューターネットワークで構成される空間上に持ってきただけになった。
だからアフィリエイトを使ったサイトの同業他社(他者)潰しに明け暮れたり、どうでもいい記事をひたすら水増ししてさも「私はこれだけ知っています、すごいでしょう」といわんばかりの記事に厚化粧したりするのである。
さらに自分の声が飛べばいいから飛ばし記事は平気で書くし、ミスリードをわざとやってアクセスを集めたりもする。
もちろん儲けられれば(自分の声が飛べば)いいから法律のことなんて考えない、詐欺などの非合法活動も出てきた。昔からインターネット上ではあった話だがより顕著になった。それも今までより高度になった。

そんな空間は都市と同じで疲れるだけなので、用途を限定して使って自分を守るしかない。必要以上に使いすぎて逆に使われないようにするのが望ましいと、今回の旅と自分のこれまでの病状の推移を振り返ったあとではそう思うようになった。

*1:青春18きっぷ有人改札のみ通れる。自動改札機は通れない。

*2:どっちも重要な業務だから仕方がない

*3:出札と改札を別の場所にし、出札の対応速度も上げるために複数の対応カウンターを設置すれば必要人員はおのずと増える

*4:伯耆大山駅まで歩く道中など2.4kmで30分もかかって『本当は間に合わないんじゃないか?』とさえ思ったが、実際そんなことは杞憂に過ぎなかった。

*5:営業部門の電話がダイヤルインではなく部署代表番号だけなので20台近くの電話が一斉に呼び出し音を鳴らす、おまけにやたら大きい声で話す人ばかり揃っているというのが主要因

*6:黎明期にインターネットを使っていたのは、大学等の研究機関くらいだけだった